「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅

「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅

日本料理には欠かせない、また家庭での最も身近な調味料といえば、思い浮かぶのは“醤油”。今や世界に誇る和の調味料となった醤油のルーツが湯浅にあることはご存知でしょうか?

その始まりは、遥か中世にまで遡ります。建長元年(1249)に宋に渡った禅僧覚心が、径山寺などでの修行の傍ら学び、持ち帰った味噌の製法が現在の金山寺味噌の始まりと言われています。

ひょうたんから駒、味噌から醤油。

金山寺味噌は、瓜やナスなどの夏野菜を漬け込んで作るなめ味噌の一種で、調味料ではなくおかずとして食すタイプの味噌です。じっくりと漬け込むうちに野菜から塩の浸透圧によってにじみ出す水分が、醤油の元祖と言われるもの。ある時、味噌の製造過程で桶に溜まるこの液汁をなめてみると何ともいえない芳醇な味がすることに気づいた湯浅の人々は、この液汁に改良を重ねました。

こうして生まれたのが、現在の『醤油=Soy sauce(ソイソース)』。最初に溜まり汁を舐めてみた人、そしてその味を改良、研究して赤褐色の汁に期待を込めた人たちのロマンの一滴と言っても過言ではありません。

湯浅から全国、そして世界へ

そして、自家用だけでなく商業としての製造、出荷も湯浅が初と言われています。きっかけは天文4年(1535)に醸醤家の赤桐三郎五郎が、100石余りの醤油を漁船に乗せ大坂に出荷したのが始まりです。

大阪へ向けて船積みされてゆく数は年々増え続け、近世になると湯浅で造られた醤油は海を渡り房総をはじめ日本全国に広まることになります。その背景には徳川御三家紀州藩の保護を受けたことも大きく影響し、醤油造りは町の中心産業として発展しました。当時、人家が1000戸ほどの湯浅に92軒もの醤油屋が軒を並べていたという話からも、その発展ぶりや人々の期待のほどが伺えるのではないでしょうか。

享保年間(1716~35)には製造技術も進み、明治初期の湯浅の町並みと浜の様子を描いた「湯浅図屏風」に、たくさんの醤油樽を帆船に積み込む様子が描かれています。こうして日本人の食卓に欠かすことのできない醤油は、湯浅から、やがて世界へ広まっていくのです。

手仕込みで造る心意気の一滴

今では町内で数軒の醸造業者が残るのみとなりましたが、工場で大量生産される醤油ではなく、当時と同じ金山寺たまりを原料に1年以上かけてじっくりと手仕込みする伝統的な製法と味わいは脈々と受け継がれています。厳選された素材を用いて丁寧に造られる湯浅の醤油は、豆の風味が生き、刺し身や冷奴などにかけていただくと、素材の味を何倍にも引き立たせてくれます。

湯浅を訪れた際には、ここで生まれた濃厚で豊かな風味と、醸醤家の心意気をぜひ味わってみてください。

醤油醸造文化が日本遺産に認定

平成29年4月28日、文化庁から平成29年度における日本遺産の認定が発表され、「醤油醸造文化」に関するストーリーが認定を受けました。

ストーリー概要

醤油の起源は、遥か中世の時代、中国に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた特別な味噌に始まる。この味噌の桶に溜まった汁に紀州湯浅の人々が工夫を重ね、生まれたのが現在の醤油であるという。醤油の醸造業で栄えた町並みには、重厚な瓦葺の屋根と繊細な格子(こうし)が印象的な町家や、白壁の土蔵が建ち並ぶ。通りや小路(しょうじ)を歩けば、老舗醸造家から漂ってくる醤油の芳香が鼻をくすぐり、醤油造りの歴史と伝統が、形、香り、味わいとなって人々の暮らしの中に生き続けている。

日本遺産とは
文化庁が平成27年度に創設した制度で、東京オリンピックが開催される2020年までに、100件程度の認定を目指し、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定し、国内外に戦略的に発信することにより、地域活性化等を図るものです。